極私的日記

ただの日記

回転木馬のデッド・ヒートその2

 「レーダーホーゼン」について。あらすじは、熟年の女性が初めての海外旅行(ドイツ)で、夫へのお土産を買うためレーダーホーゼン(半ズボン)の店舗を訪れたが、レーダーホーゼンは実際に採寸しないと販売しないと店員に言われたため、夫とよく似た体型のドイツ人を探し出して採寸のモデルとなってもらって、出来上がった半ズボンを購入する間に、これまで降り積もってきた夫へのどうしようもない怒りに気づき、離婚したという話だ。

 夫への怒りが降り積もった経緯は暗示されており、そのトリガーがレーダーホーゼンだった、というのが面白いところである。トリガーはレーダーホーゼンだったが、子育てが終わって妻の精神的・時間的な余裕が生じた段階では、遅かれ早かれ夫への憎悪に気づいたと思う。レーダーホーゼンがトリガーとなったのは明らかに偶々である。しかし、実際にはそれがトリガーとなり、妻は憑き物が落ちたように夫と離婚を決意した。この、人が人を見限る瞬間の残酷さと儚さに気づいたら、人を大切にしてそれで裏切られたらしゃーないと開き直るしかないんだよなぁ。道元禅師の「放てば手に満てり」の心で。それが難しいのだけど。

※本短編集は村上春樹氏の作品なので98%くらいはフィクションだと思います。

回転木馬のデッド・ヒートその1

 村上春樹氏の作品が好きだ。特に短編集やエッセイが好きだ。モチーフが柔らかく提示され、そのすき間が心地よいからだ。

 いま、回転木馬のデッド・ヒートを読み返している。村上氏が当時(世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドを出版した直後)一気に作家としてのレベルを上げたことがわかる短編集だ。ここでは何らかの「つきものが落ちた」短編が8編スケッチされている。

 「はじめに」について。「自己表現が精神の解放に寄与するという考えは迷信であり、好意的に言うとしても神話である。(前略)自己表現は精神を細分化するだけであり、それはどこにも到達しない。(後略)人は書かずにいられないから書くのだ。書くこと自体には効用もないし、それに付随する救いもない」、「我々が意志と称するある種の内在的な力の圧倒的に多くの部分は、その発生と同時に失われてしまっているのに、我々はそれを認めることができず、その空白が我々の人生の様々な位相に奇妙で不自然な歪みをもたらすのだ」など、ハルキスト的なフックが多い。村上氏は「はじめに」を書くことで、つきものが落ちたのかなぁ。前書きからもうおもしろい作品である。